うっかり猫をもう1匹と、一軒家を飼うことになるかもしれないというはなし。

手狭になったなあとは思っていた。アトリエのことだ。

オンラインショップの事務所であり
輸入毛糸のショップでもあるアトリエは、
編み物教室としても使っているので
発送日や教室の日はまあまあ蜜になる。これまでは小さなアパートの一室でも間に合っていたのだが、そろそろちゃんとショップを持たなくてはと、考えてはいた。

長く続けていた地域猫活動が、もう続けられなくなったと会長さんから連絡をもらったのはほんの少し前のこと。お身内の介護をすることになったのだそうだ。解散するためには残っている猫の行き先を決めなくてはいけない。多い時は2桁だった地域猫が、残り3匹となっており、頑張ればなんとかなりそうだった。酷い口内炎で、月に一度の注射が必要な薄茶の猫は私が保護、残りの2匹は保護活動に熱心な、信頼できる動物病院が預かってくださることになった。ありがたい。6年間毎週餌をあげてきた日々も、ようやく終わるのか。ほっとした矢先に病院から、預けたうちのハチくんが白血病だったと連絡が入った。

白血病の場合は、譲渡会でもかなり厳しいので、戻すことになると事前に言われていた。ハチくんは同じ町内でおばあさんに飼われていた猫だったが、飼い主の入院がきっかけで親族の人に捨てられ野良猫となり、うちのボランティアの保護となった推定6歳の雄猫である。猫にとって外での暮らしはとても過酷だ。これまで人に飼われていた猫なら尚更である。偶然餌にありつけることなどほぼ不可能な清潔な都会の猫は、人に餌をもらうより他に生きる術はなく、私が入っていた地域猫ボランティアの世話になることで食いつないではいたが、おっとりとした可愛い顔だったハチくんが、どんどん険しい顔になっていくのを、私は切ない想いで長く見守ってきた。元気で毎日パトロールをしていたハチくんが、まさか白血病になっていたとは。外に出されていなければ、そんな病気にはならなかっただろう。やっとのんびり暮らせるチャンスがきたのにと、可哀想でならなかった。とはいえ、この先ハチくんをどうするか、ボランティアの方々と話さなくてはいけない。グループLINEでボランティアのメンバーに報告する。ところがそれまで活発に全ての猫を保護できたことを喜ぶコメントで賑わっていたのが、私の報告以後ピタッと誰もコメントしなくなった。

2日目にようやく会長のおばあさんから信じられない言葉が届く。「安楽死させましょう」。地域猫としても面倒がみれないし、誰も保護できないし、病気で苦しむのがわかっているんだからそれしかないでしょう。言葉がなかった。当たり前だが到底受け入れられない。ほかにどうすればいいかなんて、私にも分からないし術もない。でもその結論だけは絶対にない。目の前に来たチャンスをつかめなかった子のことを悲しんで、一緒に悩んでくれる人はここにはいないのだと思った。私はすぐに退会を告げた。それは同時に、ハチくんの全責任を一人で負うということでもあった。

家にはすでに保護した猫が5匹いる。どの子も放棄されたり病気になって外で生きられなくなった猫ばかりだ。これ以上は飼えないし、病気がうつる心配もある。私が他に自由にできる場所はアトリエだけだ。ハチくんはアトリエで飼おう。自然とそうなった。

そうなると今のアトリエではスペース的に無理がある。トイレを置く場所も、ハチくんを置いておく別部屋もない。いまは元気だが、発症したら静かに過ごせる場所を確保しなくてはいけないし、自宅から近くないとこまめに世話ができないから、家から車で15分の今の場所では無理だろう。そろそろ引っ越さなくては、とぼんやり考えていたのが、急展開で新しい物件探しをすることになった。

「面白い不動産屋がいるよ」と知人が紹介してくれた新村さん。少し前に旦那さんのデザイン事務所の開所でお世話になった。物件紹介の写真に、コンクリートの割れ目に咲くたんぽぽの写真をアップするような彼のことが、私も旦那さんもすぐに好きになった。物件のどこに注目するか、その感覚が私や旦那さんのそれに近くて、話していても心地がいい。

新村さんに連絡したら「ちょうど六本松に一軒家が出ましたよ」というので、旦那さんと一緒に会うことになった。私の自宅から徒歩3分のところに護国神社がある。その周辺には、古い家が並ぶ小さな住宅地があるのだが、最近古い家がリノベーションされ、レストランやカフェになって様変わりしていた。食事に行くたび、この辺りにショップが出せたらいいなあと思っていたが、なんと紹介してくださった一軒家がまさにそこの物件だったのだ。1階と2階に分けて店舗として貸し出す計画があり、今ならどちらも選べます、と、古い家の写真がメールで届いた。コーヒーを飲みながら詳しい説明を聞く。玄関がいいんです。薄目でみたら北欧っぽい、と新村さん。ああ確かに、と笑っていたら、突然「梅本さん買いませんか?」

「え?買えるの?」「買えますよ」。

大人になったら絶対に自分の家を持ちたいと思っていた。新築より古い家が好きなので、リノベーションして、ドアノブも窓枠もタイルも床も、全部自分が選んでみたい。そんな夢はあったがなかなかチャンスもなく、気がついたらいい年になっていて、今更家を買うなんてと諦めていた。店舗ではあるが、自分が好きにできる家が持てるかもしれない。夢のようだと思った。さっきまで家を買うなんて思ってもみなかったが、うっかり買おうとしている自分がいる。興奮気味の私に笑いながら「とりあえず見に行きますか」と新村さん。あ、まだ見てもいなかった。そうだね、行きましょう!

角地にある小さな家はとても古かったが、何というか、いい雰囲気だった。アムヒビニットのショップとしてはちょうどいいサイズ。三方がどこにも面してなくて、そしてその三方は、今後も何も建たないという好条件。急だったのでカギが手に入らず中は見れなかったが、二階の窓からは大濠公園の緑が綺麗に眺められそうだし、窓が多くて風通しも良さそうだった。駅近で環境も問題なし。古いので手がかかりそうではあるが、それを足しても何とか払えそう。家から徒歩5分ほどなので、ハチくんの面倒も見やすい。ここをショップにできたら最高だ。

少し前に友人から「急に子猫を飼うことになったんだけど」とメールが来たことがある。準備も何もないのに急に飼っていいものか、という相談だった。「猫なんてうっかり飼い始めるものよ」と私は返事をした。優しい空気が流れる穏やかな家族。きっと大丈夫と思ったのだ。さて、いま私は重い病気を持つ猫を引き受け、更に一人で一軒家を買おうとしている。お前は何をしているのだ、と自分に突っ込んでみる。ただでさえ忙しい日々。両手はもう塞がっているのに、また荷物を持とうとしている。それはそうなんだけど、やっぱりハチくんは私が引き受けたい。それをずっと考えていた。あの子が部屋の陽だまりで、のんびりヘソ天になって寝ているところを見たいのだ。年齢的に発症はまもなくかもと先生に言われたとき、尚更、他の人には申し訳なくて渡せないとも思った。それにハチくんのことがなければ、この家との出会いもなかったのだから。

外側から眺めると、広縁があって、かなり狭いが庭もあった。眺めているうちにふと、そこに腰かけて編み物をするお客さまの笑顔が浮かんだ。ああ、いいなあ、と思う。新村さんが「北欧風」と言った玄関は、実際にとても印象的で、タイルの色や雨除けの屋根も素敵だった。二人で並んで玄関前で薄目になる。「ほんとだー。北欧っぽい」「でしょう?」「新村さん私、ここ買います」

新村さんはニッと笑って「分かりました」と言った。ここは私のお店だから私のお金で買うのだが、付いてきてくれていた旦那さんにも聞く。「買うね」「うん、買えるなら借りるより買ったほうがいいよ。でも雨漏りとか基礎はちゃんと見ないとね」「わかった」そういいながら私は、玄関脇に大好きなオールドローズが植えられているのを見つけ、その花弁に小声で「ちゃんと残してあげるね」と伝えた。

これからどうなるのかまだ何にも分からないけど、とにかくアムヒビニットのショップづくりがスタートしました。ハチくんとの物語も始まります。両方見守っていただけると嬉しいです。