アムヒビについて
PROFILE
梅本美紀子mikiko umemoto
グラフィックデザイナー、アートデイレクターを経て、2018年にオンラインショップamuhibi knitを、2021年には福岡市中央区に、編みもの教室を併設した輸入毛糸専門店amuhibiをオープン。Hayamiz-ringやknitter’s oilなどのオリジナル商品の企画では、前職を活かしたものづくりも行っている。
著書に「amuhibi KNIT BOOK」「amuhibi KNIT BOOK second」「amuhibi meets ROWAN」(すべて日本ヴィーグ社)がある。7匹の猫と1匹の犬、そして夫の大家族。愛称はにゃんこ先生。
フリーランスのデザイナー時代
私は家の中にいるのが何より好きな子供でした。絵だけはいつも褒めてもらっていたからか、小さなころからお絵描きが好きで、グラフィックデザイナーという仕事を知ってからは、なりたい職業はぶれることなくデザイナー。念願のデザイン事務所に入って3年目で独立。リモートワークが推奨されるはるか前から、フリーランスのデザイナーとして、通勤0秒の暮らしをしていました。フリーランス時代のメインの仕事は、月刊誌の編集デザイン。他にレギュラーが月に5本、加えて単発の仕事も断らずに全てこなしていたので、当然毎日かなりの忙しさでした。私はそれをまるでゲームのようにひとつひとつ攻略し、ギャラという名のポイントを稼ぐ面白さを感じることで、忙殺される日々をなんとか乗り切っていました。そんなワーカホリックな日常はというと、例えば朝8時にオンラインでデータを納品したあと、いったん睡眠薬を使って眠り、4時間後に無理やり起きて、今度は強いカフェイン剤で40時間仕事をし続ける、なんて感じ。かなりクレージーなやり方ですが、締切のある仕事とはこんなもんだと思っていたので、意外にストレスもなく何の問題も感じず、デザインワークに没頭していました。
エディトリアルデザインの面白さにハマり、誌面の費用対効果に命をかける日々が続きます。全ては読者のために、を合言葉に、支持率と睨めっこしながら試行錯誤を繰り返すなかで、励みになっていたのは、「デザインには人を動かす力がある」という先輩デザイナーの言葉でした。私はこの仕事の面白さや価値は、そこにこそあると思っています。長いキャリアの中で、自分の仕事に客観的な評価をいただけるようになると、益々ワーカホリックにも拍車がかかり、当然過労で倒れちゃうわけですが、入院先の個室でも打ち合わせをしてたりして、そんな怒涛の日々が約20年。前だけをみて走り続けていました。
当たり前ですが、永遠というのはないわけで、ノリノリの時代もやがて終焉を迎えます。創刊から携わってきた情報誌も、誌名が有名になり安定すると、仕事はルーチンワーク化していくわけですが、段々とそれが辛くなってきた頃、ある日突然人員整理のための契約解除を告げられ、20年続いたメインの仕事が、あっけなく終わりました。
長く続けてきた月刊誌の仕事がなくなる、という句読点が打たれたことで、次の文節を考えるようになった私は、これからも同じように、フリーのグラフィックデザイナーをやり続けられるかと、自問自答していました。答えはNOでした。特に20年続けてきた仕事が終わったことへの、気持ちの影響は大きく、長い道のりの頑張りを、ひとつも誰にもねぎらってもらえなかったことは、やはりショックでした。急に重い話で恐縮ですが、私の父は保証人で背負った他人の借金を苦に自殺しています。よく働く、優しくて面白い父でした。当時私が父の死を前にして感じた、寂寞とした虚無感のようなものと、自分自身のそれとが重なり、誰かのためにデザインをすることも、一人の世界にずっと居続けるということも、段々難しくなっていました。
グラフィックの仕事以外に、もうひとつやっている事がありました。それが「編み物」でした。実家の1階が手芸店で、母はそこで編み物を教えていたのですが、その影響もあって小さな頃から編み物が大好きでした。編み物を楽しむ私に、ある話が舞い込み、気がつけば東京や葉山で、毎年ニット作品の展示会をするようになっていました。3年ほどやらせていただいていたところで、初めて福岡のギャラリーからも声がかかります。在廊中は暇なので、編み物を教えようと思い立ち、広報したら想像以上に人が集まりまして、そこで初めて人に編み物を教える経験をしました。展示会の最終日、お客さまに「明日も教えて」と言われ、それでは、と自宅で続きを教えはじめたのが、自宅教室の始まりでした。グラフィックとはまた違うもう一つの世界が広がっていきましたが、まさか編み物で食べていけるとは、その時は到底思ってはいませんでした。
製図クラスでプロの世界を知る
グラフィックの仕事と入れ替わるように、日々の中で編み物の比重は増えていきます。細々とやっていた教室には、インスタを見たと、来てくださる方が少しづつ増えていました。編みに来てくださる方のために、製図がやれたらいいなと思うようになり、有名なデザイナーさんが講師を務める人気講座に通い始めたのがこの頃です。私以外の生徒さんは、編み物の先生を本業とされているベテランの方ばかりで、私にとってはかなり場違いなクラスでしたが、最新号のファッション誌から題材を見つけて編み図を書くという内容がとても面白くて、毎月ワクワクしながら通っていました。
月に一度のその講座は私にとって、プロの世界を覗くことができる場所でもありました。私はそこで、専業の編み物講師や編み図ライター、ニッターなど、編み物だけで食べている人たちと出会います。彼女たちの話に私は興味津々で、ランチタイムは彼女たちを質問攻めにする事もよくありました。一番驚いたのは、「デザインがやりたいのなら、それだけやりなさい。他のことはできる人にやらせたらいいのよ」という言葉でした。50歳を過ぎて新しい世界に飛び込もうとしている自分にとって、この言葉には希望が持てました。それなら今からでもやっていけそうだ。こうして、編み物を新しい仕事にするという妄想は、少しづつ自分の中で現実のものになっていきました。
そんな中、ある方からこんなアドバイスをいただきました。「編み物はこれから先細るだけ。毛糸を売って食べていくなんて無理よ。やめた方がいい」。大手毛糸メーカーでバイヤーを長くやられていた、経験豊富な方からのアドバイスでした。 でも。でも、と思いました。否定されるとやる気が出るのは、私がM気質だからでしょうか。でも、あなたの頭の中にある編み物の世界と、私のそれは多分違う。私の妄想ショップはとても素敵なお店なんです。名前もまだない自分の妄想ショップを、私はすっかり気に入っていました。それになにより、編み物は楽しくてクリエイティブで、人を夢中にさせる要素がたくさんある。編む人が少ないのだとしたら、それは楽しさがちゃんと伝わってないからだ。「編み物の本は編める人にしか分からないように書いてあるから、私みたいな初心者は買うなって言われてるような気がする」。生徒さんの言葉を思い出しました。ここにも私のグラフィックデザインの経験が活かせそうです。まだ何も試してないし何も始まっていないのに、そうなんですね、とは言えない。とりあえずはこの妄想ショップを現実のものにしよう。思いは強くなりました。
自分の強みを活かす
グラフィックデザイナーの目から見る編み物業界は、まだまだ未開の地です。最近はいいデザインの本やプロダクトがたくさん増えましたが、「いま」を感じないデザインはまだいくつも残っています。メーカー側の顧客イメージは、昭和の辺りで止まっているのではと思うことも多く、もはや「女性」を対象にすること自体が古いのかもしれません。メーカー数が圧倒的に少ないので、目数リングひとつ買うのにもデザインのバリエーションは数えるほど。これはひとえに編む人が少ないせいです。お客さんの数が増えていかなければ、豊かなデザインを生み出す余地はメーカー側にも生まれません。まずは編む人を増やさなくては、編み物はほんとにオワコンになってしまう。編み物ファンを増やそう。私のショップの目的は自然とこれに決まりました。
自分自身が長く編み物をしてきた編み物ファンなので、何が必要かは、自分に聞けば次々と出てきます。浮かぶアイデアに自分でワクワクして、久しぶりにデザインをする楽しさを味わいました。自分のショップのために自分がデザイナーとしてものづくりをするというスタンスなら、大好きなグラフィックデザインの仕事を、好きな気持ちのまま続けられる。愛してやまない毛糸に囲まれ、大好きな編み物を仕事にしよう。気持ちは固まり、具体的な準備が始まりました。
はじめて仲間と出会う
こうして2018年10月末にamuhibiをスタートさせた私は、たったひとりで始めた旅の途中で、桃太郎の如く次々と、志を同じくするスタッフに出会い、amuhibiをチームとして続けていくことができました。2022年に最初の本を制作し、以後3年間で3冊の本をつくりましたが、3冊とも、すべてのデザインの編み図を書いてくださり、さまざまな知恵を授けてくださったのは、製図の講座で一緒に学び、夢を語る私を励ましてくださった業界の先輩方でした。amuhibiを始めたばかりの頃、毛糸をどうやって仕入れたらいいのかわからず、とりあえず電話してみたパピー糸さんには、さまざまな業界の方を紹介していただき、毛糸もことも、なんでも教えてくださいました。たくさんの方々に支えていただきながら、一つ一つのドアを、ドキドキしながらノックしていたあのころ、開いたドアのその先を知る日々は最高に楽しかったです。まだ編み物が趣味だった頃は気がつかなかったのですが、こんなに編み物が好きな人がいることも知ることができ、それも嬉しいことのひとつでした。
たった5年とは思えない濃厚な日々の中で、私の編み物への思いはどんどん強くなっています。もっとより多くの人に、編み物の楽しさをお伝えしたいし、編み物だけで食べていける仕組みづくりもやりたい。自分のブランドの毛糸も作りたいし、たくさんの人に気に入っていただける、おしゃれで着心地のいいニットを、もっとデザインしたい。もっと羊のことを知りたい。これからもずっとわたしたちamuhibiは、新しいドアの前に立ち続け、ドキドキしながらそのドアを開いていこうと思います。開いたその先に、編み物ともだちの、あなたがいるかもしれませんね。そのときはぜひ、一緒に編み物の話をしましょう。
梅本美紀子
(一部NOTEに掲載の文章を加筆しています)
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